4日目 2000',12,04. (月) 晴
カッパドキア(ホテル)〜カッパドキア観光(セルベの丘、ギョレメ渓谷、ウチヒサール)
           専用バス
宿泊:カッパドキア  Hotel:MUSTAFA(ムスタファ)

                                          ■モーニングコール6:30  朝食6:30  出発8:00

  Cappadocia(カッパドキア)
 カッパドキアはアナトリア高原の中心に広がる大奇石地帯。 キノコ状の岩に代表される奇石の不思議な景観、
奇石の中に残された膨大なキリスト教壁画、地下何十米も掘り下げられた地下都市、等の景観はここの観光の見所
、この様な地層は数億年前に起こったエルジェス山の噴火により出来たものです。 カッパドキアはヒッタイト時代から
交易の要衝として栄え、4世紀前後からキリスト教修道士達が凝灰岩に洞窟を掘って住みはじめ、彼等は外敵から身を守る為、
地下等に住み、信仰を守り洞窟内に天井や壁に見事なフレスコ画を残した。 信仰生活を残す貴重な地域となっております。
 

   
Devrent(デブレント)
起伏のある谷に大小様々な岩が連なる谷はまるで岩の谷という感じ、他では見られない光景が続くが、此処は2000万年前
は海の中だった。 岩には所々に穴が開けられているが、これは迫害を逃れたキリスト教徒達が住んでいた所。
上の写真はラクダ岩と岩の林の一部

   
  

  ★シャバ(トルコ語のアルファベット表記が出来ません)
 カッパドキアで有名なキノコ岩がある所。 煙突に似ているこの岩は中に妖精が住んでいるとの
伝説から「妖精の煙突」といわれている。この岩が一面に立ち並んでいるパシャバは観光のハイライトの
一つで圧巻です。  とても自然の造形とは思えない形ですが、これは岩の硬度が違うから出来たもので
、硬い玄武岩で出来た上部は帽子の様に残り、下の軟らかい部分が柱の様に残って出来たものです。
上部の岩が1つのものや2つのもの3つのもの等、様々な岩が並んでおります。
 
(注)トルコ語の現地表記のアルファベットにはsの下にÇの様に下にひげの様なものが付いていたり、
              gの上にチェックの様なものが付いていたりでどうしても書けない文字があります、これは私がパソコンで表記方法
                          を知らない為かもしれません、もしもお判りの方がおられましたらお教え下さい、お願い致します。

 

  Esentepe(エセンテペ)★
 三人姉妹とも三人の乙女ともいわれている岩ですがどこで間違えたのか三つの岩が
写っておりません?、と一瞬思ったのですが、左の岩の前に少し
小さく写っておりました?が少し変です?やっぱりミスかな。
  

  
      ギョレメ野外博物館           サンダルの教会          フレスコ画(暗闇の教会?)

  Göreme(ギョレメ)野外博物館
 此処にはクズラル聖堂、サンダルの教会、暗闇の教会、ヘビの教会、バルバラの教会、リンゴの教会、バジルの教会、
他民家等が残されております。 サンダルの教会は壁画の人物がサンダルを履いている事からサンダルの教会という名がつき、
蛇の教会には聖ジョージ等による蛇退治の壁画がある。 又リンゴの教会にはキリストの生涯を描いた壁画があり、
昔入り口にリンゴの木があったのでリンゴの教会と呼ばれ、暗闇の教会にはキリスト像、や受胎告知、ベツレヘムの旅
、洗礼、最後の晩餐等の鮮やかなフレスコ画が残され、中が暗闇だったので暗闇の教会と云われています。 
又暗闇で光線が入らない為に鮮やかなフレスコ画が残ったものと思われております。 これ等の教会は、
12〜13世紀に造られたもので、荒れた岩肌の外観からは想像出来ない程、内部の装飾は見事です。

  
暗闇の教会

  
ギョレメ屋外博物館内           鳩の巣(望遠にて)               暗闇の教会

  鳩の巣
 教会以外の至る所に碁盤目の様なものは鳩の巣で、鳩の糞を集めてブドウの木の肥料として昔から現在に至って使われているとの事です。

  
                      暗闇の教会        (変わった岩の前のラクダ)に乗る人を待つ現地の人

  
            ウチヒサール                        岩の中の現地人の寝室

  現地の人の岩の家を訪問
 NHKが取材した事のある岩の家を訪問、色々写真を写しましたが、ベットの部屋を公開します。
 現在は岩を掘る事は禁じられているそうです。

 
  Zeive(ゼルベ)
 ゼルベとはギリシャ語で谷という意味ゼルベの丘から写す。  色々な形の岩がそびえ
、2951年迄は実際に住居として使われていたが、岩が崩壊の危険にさらされた為、近くに移住している。
 キリスト教徒が多く住んだ所には岩窟教会があり、トルコ人が多く住んだ所にはモスク
が造られ方々にトンネルが張りめぐらされている。 現在は博物館として保存し、見学もできます。
 

 

  Uçhisar(ウチヒサール)
 ウチヒサールの城塞の上部の望遠です。 「尖った岩」という意味の巨大な
一枚岩の城塞が中心になっている村で、敵の侵入を防ぐ為のもので、ヒッタイト時代
にはあったといわれている。 城塞の周りに立つ奇岩は今も住居として使われている。
 岩に掲げるトルコの国旗は人が住んでいる目印らしいです。

 

   Ortahisar(オルタヒサール)
 カッパドキアの中央位にあるオルタヒサールはトルコ語で「中央の城塞」の意味で、城塞の周り
に家々がならんでいる。この城塞も敵の侵入を防ぐ為に造られたもので住居、食料等の倉庫として使われたものです。

 この写真はパンフレットをコピーしたものです。


                                                                
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