7日目 2000'.12.07. (木) 晴
イズミール(ホテル)〜ベルガモン遺跡(アクロポリス、アスクレピオン)〜トロイ遺跡〜チャナッカレ
          専用バス
   宿泊:チャナッカレ Hotel:BUYUK TRUVA HOTEL(ビュユック トウルバ ホテル)

                                   モーニングコール5:45  朝食6:00  荷物出し6:15  出発7:15

                                   
Bergama「(ベルガマ)ペルガモン遺跡」
 アレキサンダー大王の築いた大帝国は、BC323年バビロンでの大王の死以降、家臣達によって分割統治されていった。
 当初腹心の部下リシマコスがこの地を支配、しかしシリアとの戦争に敗れて、彼は戦死。 
その部下のフィレタイロスがこの地の実権を握りBC281年にベルガモン王国を築いた。
 フィレタイロスの甥で、アッタロス朝のエウメネス1世の時代にローマと協力して、シリアを破る。
 中央アナトリアの覇者となり、交易ルートを握った王朝は、その豊富な財力を生かして、ギリシャ文化を取り入れた
アクロポリスの建設が行われ、神殿や王宮を建設し、又芸術の保護と育成に力を注ぎ、BC2世紀には第二のアテネと呼ばれる程だった。
  アッタロス3世の時代にはローマの属州となった後も、典型的なヘレニズム都市としての繁栄は続いた。
 トラヤヌス神殿はこの頃の建造物。 特に医療面の設備が整っていた。
 以後ローマの保護下で独特の発展をとげるが、8世紀のアラブ人の侵略や14世紀のオスマントルコの干渉を受け衰退していった。


 
トラヤヌス神殿                              ベルガモン遺跡図 
  

Akropolis(アクロポリス)
 BC4世紀にはすでにアテネ神殿がつくられていたが、ベルガモン王国が最盛期を迎えた
BC2世紀の国王エウメネス2世、アッタロス3世の統治下に、今残っている原型が作られ、
標高333mの丘の頂上から、トラヤヌス神殿や大劇場が自然の地形を巧みに利用して造られた。

  トラヤヌス神殿
 ベルガモンのシンボル、総て大理石で建てられた神殿は、ローマ皇帝ハドリアヌスによって
先帝トラヤヌスに捧げられたもの。 2世紀中頃に完成、純白の美しいコリント式列柱
とアーチ部分、基盤、イオニア式列柱が残っている。

  大劇場
 ギリシャの影響を受けた劇場で、これだけの傾斜をもつものは類がなく、音響の良さでも群をぬいている。
眺望を遮らない為に、舞台は固定ではなく、催物の時だけ組まれる木製のものだったという。 
収容人員約1万人、劇場は扇形だが、アクロポリス全体も劇場を中心とした扇形にひろがっている。
 
  ゼウスの大祭壇
 エウメネス2世が造った、ゼウス等の神々を祭る祭壇。
方形の基壇の上にイオニア式の円柱が並ぶ凹型の柱廊をもち、
中央に大階段を備えていた。 この祭壇は19世紀にドイツの発掘隊によって発見された。


  
聖なる泉                  ゼウスの大祭壇                  大劇場

 
給水塔                      アテナ神殿
   給水塔★  
 45Km北のピンダソス山から、水道橋と地下水路を使って引いてきた水を貯水した場所。
 中央の列柱の上にコインが載ると、幸福になるという言い伝えがある。

  ★アテナ神殿★
 ベルガモンで最も古い遺跡、ギリシャ神話のアテナに捧げられたもので、BC4世紀に造られた。
 ビザンチン時代に崩壊し、現在はエウメネス2世がBC2世紀に築いた回廊の基盤のみが残っている。 
  ◆Asklepion(アスクレピオン)

 古代の総合医療センター。 ギリシャ神話で医学の神アスクレピオスに捧げられたので、この名がついた。
 伝説では狩りの途中で落馬シタベルガモンの青年アルキアスがギリシャで治療、その間に医術も学び
、故郷に帰り、築いたのが此処アスクレピオンだといわれている。 真偽は別にしても、BC4世紀にはここに実在していたという。
  
聖なる道               オリーブの実を採る農家の人達         劇場へ続く回廊
  
聖なる道から望む三日月と星のトルコ国旗              劇場へ続く回廊





 劇場へ続く回廊★
 劇場へ続くイオニア式の列柱が連なる回廊、当時は屋根が架けられていた。

  ★Propiron(プロピロン)  
 写真左:本殿の入り口にある前門建築。 お椀と蛇の彫刻が刻まれた円柱が残っているが、
昔病の為に医者に見離された病人が、悲観して自殺する為にお椀に蛇の毒を入れて飲んだ所、
適量だったので病気が治ったとも、蛇毒を病気治療に使った為とも、蛇の持つ神秘性や、
脱皮から再生を連想した、等と云われている。 ヨーロッパでは棒に蛇が絡んでいるモチーフは薬局の目印となっております。


  地下道
 治療施設にトンネルを通って入るのは死と再生を意味していた。 
地下道は「俗の場」と「神聖の場」の境界で天井にある穴から神の
(本当は医者か術者による)お告げ(暗示)により病に対処して、後に治療棟で施術した。


  オリーブの実
 遺跡観光中に農家の人がオリーブの実を採っている所を見ました。 
きの下に大きなシートを敷き詰めて、鉤形の金具を長い竹竿の先に付けて、木の枝をそれで揺すって、
オリーブの実を下に落として、それお集めて収穫していました。オリーブの実の収穫風景を実際に見たのは初めてでした。

  
劇場                               聖なる泉

  劇場
 遺跡の北部にあり、典型的なローマ様式。 入院患者を楽しませる為に造られたもので、心から感動し
、笑う事も大切な治療行為だった。 精神面での治療にも配慮した事が、此処に劇場がある事でがよくわかる。
  ★聖なる泉
 2000年枯れる事のない伝説の泉。 近年の科学的調査により、ラジウム分を
多く含む事が判っている、又ライオンの生命力にあやかる為といわれる。

  
地下道入り口                     地下道                    円形治療棟

  
聖なる道よりアクロポリスを望む               聖なる道                 入り口の土産物店

  聖なる道
 アクロポリスの下市とアスクレピオンを結んでいた1Km程の道。現在は入り口付近の150m位しか残っていない。 
石畳が綺麗で、ゆったりとした道幅がある。
 
  テレスポロス神殿(円形治療棟)
 実際に治療が行われていた場所、聖なる泉から地下道でここにはいる。 
その地下道を通る事が死と再生を意味し、治療棟内の小部屋で治療方法を授けられた。

 
エーゲ海海岸

  途中休憩
 ベルガモン遺跡からトロイ遺跡の途中でエーゲ海の海岸の横を走る道路があり、トイレ休憩を兼ねて海岸で一時の休息。

 
トロイの木馬                                       トロイ遺跡図

  Troy(トロイ)遺跡
 ギリシャ神話の話は忘れられない話で、全体の話を知らない人でも、トロイの木馬のシーンだけは記憶している人が多い事と思う。
 詩人ホメロスの叙事詩「イリアス」は古代ギリシャ文学を代表する作品で、BC800〜BC750年の間に作られたとする「イリアス」はトロイ戦争の発端から結末迄を伝えている。 
多くの人が神話や伝説上の都市だと信じて忘れられていた所、ハインリッヒ・シュリーマンはトロイが実在した都市だと信じていた。
幼い頃からホメロスの叙事詩に興味を持ち、その話に取り憑かれていた、彼は古代都市トロイの発見を夢みていた。 
実業家として成功した彼は40歳を過ぎて、それまで蓄えてきた富を使い、自らの夢を実現すべく、トロイの発掘を行う。 
丁度その頃チャナッカレの領事館に住んでいた英国人のフランク・カルバートが、
近くのヒサール・ルックがトロイの跡地ではないかと発掘調査していた、カルバートは大英博物館に協力を依頼したが返事がなく、
途方にくれていた所、シュリーマンと出会う。
 シュリーマンは1870年から本格的に発掘調査を行い、
その地層の違いから、トロイが初めて町として形成されたのは、BC3000年頃から繁栄と没落を繰り返し
、都市遺跡を建設してきた事を立証した。 
彼は一番深い地層を第1市と名付け、第7市迄発見した、
彼は1873年妻のソフィアと共にトロイ最後の王プリアモスが所有していた財宝を発見した。
1882年からはドイツの考古学者ヴィルヘルム・デルプフェルトも加わって発掘調査が進み、
シュリーマン亡き後はデルプフェルトによって此処がホメロスの「イリアス」に描かれた、トロイである事が立証された。
 最終的には第9市迄確認されており、現在夏季のみ発掘と復元が続けられています。 



  トロイの木馬
 入口にあり、トロイの木馬の複製?、観光用に建築されたもの。

  第6市の東塔と城壁(写真右)
 二つの城壁に挟まれた狭い通路が城壁、石組みに強度を持たせる工夫がほどこされていある。

  大理石の坂道
 外への出入りに使われた、大きな大理石の敷石で舗装された坂道。 両脇も縁取りされた立派なもの。

  聖域
 ギリシャ人が統治した第8市のもの。 ペルシァ王がBC480年に雄牛を、
アレキサンダー大王もBC334年ここで神々に供え物を捧げたという、
井戸は生贄の血を貯めるものと、洗い流す方と二つあります。  第8市と第9市のもの。

  
第1市住居跡           掘った穴(時代表示されている)      第2市の大理石の坂道 

  
聖域

 
発掘された遺跡の石材の数々



  小劇場(音楽堂)
 ローマ支配時代第9市に造られた劇場で、木製の屋根が付けられていた。
小さいが音響効果はよかったら しく、現在は保存状態はなかなか良い。



  
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