6日目 2000'.12.06. (水) 晴
パムッカレ(ホテル)〜ヒエラポリス遺跡、石灰棚〜エフェス遺跡〜イズミール
           専用バス
宿泊:イズミール   Hotel:AKSAN HOTEL(アクサン ホテル)

モーニングコール6:00 朝食6:30 荷物出し6:30 出発7:30 


  
ローマ門とアルカディア通り

  ◆Hierapols(ヒエラポリス)遺跡
 石灰棚の背後に広がる神聖な都市の広大な廃墟ヒエラポリスはヘレニズム時代に栄えた遺跡でBC190年頃、
    ベルガモン王エウメネス2世はローマ軍と共闘してシリアを撃破し、その功績によりこの街を与えらといわれている。
  やがてローマの支配になり繁栄を続けるが1世紀の大地震とも云われている。昔は温泉の有毒ガスの噴出する
        洞窟プルトニウムに入った神官がガスを少量吸いトランス、神の言葉を伝えれの地だっ置関係や観光時間の関係か?
、この遺跡はあまり見学する事が出来なかった。


  
石灰棚と足湯
足湯は大きな石灰棚の限られた場所でのみ出来る、足に接するお湯の下は(写真上左)の様に
大きな石灰棚の縮図の如く微細な石灰棚が一面に広がっております。

   
石灰棚

パムッカレはトルコ語で綿の城を意味する。 目の前に広がる光景は圧巻です。これは台地上部から流れる温泉
    のカルシウム分と炭酸が、化学反応を起こして長い時を経て結晶、石化したものが台地を覆ったものです。 しかし近年、
     乱開発によって温泉が激減 し、石灰棚が荒れ雑草が生えはじめ、強力な保護政策が取られ、石灰棚への立ち入りが禁止され、
遊歩道と一部立ち入り可の部分だけとなり、以前の様な美しい光景に蘇りつつあります。

 

聖母マリアの家
 聖母マリアの家はエフェスの遺跡から7Km離れたブルブル山という所にあります。マリアの最期の場所は謎とされていましたが、18世紀末、
アンナ・カテリーナという尼僧が訪れた事のないエフェスの石造りの家の様子を語りだした。その後マリアの家探しが始まり、アンナの語った
通り、この家を探し当てたといれる。彼女の話では聖母は64歳で亡くなったとされる。1967年にローマ法王パウロ6世が此処でミサを行い
、1979年にはヨハネ・パウロ2世も此処を訪れている。建物は小さい教会になっており、建物の外の階段を下った所には聖水が湧いています。
写真下左:聖水の湧いている所
       上:日本のおみくじの様に結びますが、白い布又は白い紙でむすぶ、が
         日本と違うのは幸福になるという祈願の為です。 結ぶ場てあり何重にも結ばれております。

 

 
ヴァリウスの浴場跡                            大劇場遠望   
 ヴアリスの浴場
2世紀に造られた典型的なローマ浴場で、冷水浴、温水浴、熱水浴室、を備え、マッサージ室や脱衣場、
トイレもあった。貧富の差を問わず利用出来、市民の社交の場だった。


Efes(エフェス)

 イズミールから南に76Km、エーゲ海最大の遺跡群が眠る古代都市エフェス(古代名:エフェソス)はトルコ西部では欠く事
  の出来ない重要な観光ポイントで、良く復元されており、ヘレニズム時代の大劇場跡、コリント式、イオニア式、の建築物、
レリーフ等多く残されている。 エフェスの歴史は古く、ガリア人の集落だった土地に、BC11世紀頃からイオニア人に
よってアルテミス神殿を中心とする都市が建設された。 イオニア12都市の1つとして栄えたが、BC356年にアルテミス
  神殿が焼失、更に川の氾濫で土砂が堆積し、疫病が蔓延した、その為ベルガモン王リシマコスが新都市を建設、これが
聖パウロの伝道の地として有名なエフエソスです。 地中海文明の遺跡として保存状態、芸術性等最高のものです。

  写真左:Prytaneion(プリタネイオン)
 エフェスの象徴である女神ヘスタの聖火が数世紀に亘り、日夜点り続けた場所。 
その聖火を守るのはプリタンと呼ばれる名家出身の男女で、神殿管理や行政職の高官でもあった。 市公会堂跡。


  Porio Fountain(ポリオの泉)

 写真右:セクティリウス・ポリオが97年に造った泉。大きなアーチが印象的で、貯水槽の中にオデッセイの活躍をテーマにした彫像があったらしい。

  写真下:詳細不明のレリーフ
 棒に蛇のレリーフ、鹿の頭の人間と羊(ヘルメスのレリーフ)、中央のは何だか判りません。

  Gate of Hercules(ヘラクレスの門)
 クレテス通りに建っている、エラクレスの彫刻を施した左右対の門で2世紀に
     造られた柱を4世紀の大震災の後建てて門とし、アーチには女神ニケの浮き彫りがあったらしい。 
ニケのレリーフはこの門にあったものらしい。

  
     ヘルメスのレリーフ                詳細不明のレリーフ             蛇ノレリーフと現地添乗員

  
ヘラクレスの門



利の女神ニケレリーフ
 写真左:ヘラクレスの門のアーチに飾られていたニケのレリーフ。

  モザイクの道
 写真下:クレテス通りのハドリアヌス神殿の前に大通りと平行に並んでいるモザイクの道、
現在は通行禁止になっている。 非常に細かく美しいものです。
 

 



 トラヤヌスの泉
 皇帝トラヤヌスに捧げられた泉で、紀元2世紀の初期に造られたもので、三角形の
ファサートが特徴で、本来は高さ12mあったものを縮小して再現したものです。


ハドリアヌス神殿
 写真下:市民のクインティリウスが皇帝ハドリアヌスに献上した神殿で、138年頃の完成した。 正面の装飾は美しく、
アーチの頂上には女神ティケが、奥の門なは両手を広げたメドゥーサが掘られている、壁面にはエフェス建国の伝説が
描かれ、神々やアマゾン、動物、皇帝テオドシウス、アルテミス等、が浮彫彫刻で描かれています。
石柱の施された装飾も細密で美しいもの。 これは複製でオリジナルは考古学博物館に展示されています。

   

 
両手を広げたメドゥーサ                                   エフェス遺跡の地図


          公衆トイレ
                         1世紀に造られたトイレは水洗で便器前の溝にも手洗いの水が流れていた中央には
                       水を貯める池があり、屋根は木製で、下にはモザイクが敷いてあったらしいです。

  セルスス図書館(Selsus
 ローマ帝国のアジア州執政官だったセルススの死後、彼の息子ティベリウスが
  父の墓室の上に記念に建造したもので117年に完成、1万冊を超える蔵書を誇ったが
、その後焼失したり、地震による被害も受け、今世紀初頭に発見された時には相当破壊
されていたが、1870年代に修復された。 正面には知恵、運命、学問、美徳、の4つの意味
をもった夫々の女性像がある。 オリジナルはウイーンの博物館にあり、現在あるのは
コピーですが、周囲のレリーフとあいまって往時を偲ばせるものです。  又この壁を
支えているのが、コンポジット式(コリント式とイオニア式の混合形式)の柱頭、
上部はコリント式の柱頭になった大理石の円柱で、内部は平屋です。

 

 

  マゼウスとミトリダテスの門
 写真上左:セルスス図書館横の門、マゼウスとミトリダテスは皇帝
アウグストスの奴隷だったが、解放され、その感謝の意をこて両名が(BC)紀元前3世紀頃皇帝一族に寄進したものです。

  マーブル通り(大理石通り)
 大劇場から図書館迄続く大理石の道、アルテミス神殿へ続く聖なる道の一部でもあった。
度々改修が繰り返されたが、劇場前あたりにはローマ時代の轍がのこっている。 又この通りの下は水路(下水道)になっていた。

 
 

 
 娼婦の館(娼館)
 写真上:マゼウスとミトリダスの門から大劇場への大理石通りを少し行った所
の商業アゴラ側の大理石に娼館への道案内図(広告)が刻まれております。 
足は方向、女性の図は娼婦、ハートは愛、足の上の十は十字路を表している
といわれています。 娼婦は世界最古の職業と云われ、その言葉はBC'7世紀にあるといいます。
 娼婦は商人や船乗りが港に着くと歓迎したといいます。 彼女等は戦争捕虜や他の都市、
国家から連れてこられたらしく、娼婦にまつわるエピソードは何時も切ないものです。
 
  大劇場
 写真左と下左:地中海文明でも最大級の古代劇場。BC3世紀頃のヘレニズム時代に完成して、
ローマ時代にクラウディスが拡張し、収容人員2万5千名を数え、観客席は高さ38m
、広さは直径158mの半円形で、丘の斜面を巧みに利用している。

 



  アルカディアン通り(港通り)
 写真上右:港から大劇場へ続く幅11m、長さ500mのプロムナード、BC1世紀に造られ、
最盛期には両側にアーケード付きの商店が立ち並び、夜には街灯が灯ったといわれている。
 国家の要人が港に着くと、この通りで歓迎式典が行われた。 
4世紀後半から5世紀にかけて統治したアリカディスが大改修したといわれている。


  アルテミス神殿跡
 写真右:石柱が1本残っているだけです。豊穣の女神キベレとアルテミス女神信仰が同一視され
、BC7世紀頃から豊穣の女神アルテミスの神殿が建設されはじめた。
 建設期間約120年間、高さ19m、直径1.2mの円柱を127本を持つこの神殿の壮大さは、世界の七不思議の一つ。
  ストラボンによれば7回破壊され、7回再建されたという、125年にゴート族に破壊された儘だったが
、6世紀に石材が運びだされて、現在では1本の円柱が建っているのみです。 
背後に見える白い建物はイーサーベイ・ジャミイ。  その後ろの建物は聖ヨハネ教会です。

 
考古学博物館の内部                          詳細不明
 
 エフェス考古学博物館
 エフェス遺跡からの出土品約1000点(所蔵品数25000点以上)が住宅、泉、墓地、等発掘場所別に展示されている。
 
 写真左:Artemis(アルテミス、BC1世紀)トルコでは先住民族の地母神信仰と結びつき
、豊穣、多産の象徴になっているが、本来はゼウスとレトの娘でアポロンと双子。
 月の女神で狩猟の名手で、みずみずしい若さの反面、荒々しく嫉妬深い面もある。
 オリンポス三人の処女神に一人。 又胸の周りについている独特の卵形のものは
、女神の乳房とも、女神に生贄として捧げられた牛の睾丸ともいわれています。

  
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